代表 村場(むらば)辰彦さん/55歳
容子さん/56歳
札幌市豊平区の自宅兼事務所にて。「いつも太鼓や音楽のことばかり話している」という2人
100組の夫婦がいれば100通りのドラマがあります。今回登場するのは、札幌で10年前に新芸能集団「乱拍子」を立ち上げた村場辰彦さん、容子さん夫妻。小学生を含む15人の団員たちと、太鼓を核とした数々の芸に挑戦し続けています。そんな2人のこれまでの道のりを聞きました。
出会って3カ月で学生結婚した2人
結婚当初、長男と那須の茶臼(ちゃうす)岳へ
新芸能集団「乱拍子」(TEL.011・855・2029)は、村場さん夫妻と4人の息子、容子さんの弟、さらに地元の小中学生たちで構成される表現集団。日本の伝統芸能の流れをくみながらも、北海道で新しい太鼓の響きを生み出そうと、太鼓を柱にしたオリジナルの舞台を披露しています。音楽はすべて辰彦さんが作曲。学校やイベント会場を中心に、年間150回以上の公演を行っています。
鹿児島市出身の辰彦さんと、阿寒町出身(現釧路市)の容子さんが出会ったのは今から34年前。東京の国立(くにたち)音楽大学で、辰彦さんが作曲を、容子さんが幼児教育を学んで
いたとき。そのころ、旅先の八丈島で出会った太鼓に魅せられていた辰彦さんと、童歌に関心があった容子さんは、音楽への思いを語るうちに意気投合。何と3カ月後には、"できちゃった結婚"し、在学中に夫婦になったそう。「『子どもたちに音楽の素晴らしさを伝えたい』という思いが一致していたんです。その時の気持ちは今でも変わっていないですね」(容子さん)。
結婚後すぐに、容子さんも太鼓に魅せられます。2人で東京に音楽教室を開き、その傍ら容子さんは保育園で働いて生計を立てるなどして、夫婦で太鼓に夢中になっていきます。「練習のため、2人で乳母車に太鼓を載せて山の中に入って行ってたたいていました」(容子さん)。その一方で、普段の生活では2人はぶつかってばかりだったと言います。「料理の味付けのようなささいなことでも衝突して、3日に一度はケンカでしたね。それに2人ともすぐにカッとなるタイプ。物を壊したこともありました(笑)」と容子さん。でもどんなにケンカをしても、最終的には納得するまで話し合うことで問題を解決してきたそう。「徹夜で話していたことも。とことん話し合うことで、お互いのことを理解できるようになりました」(辰彦さん)。
太鼓のために札幌へ家族で演奏を開始
「着飾った女子学生が多い中、化粧もせず、男の子のような服を着ていた彼女は逆に目に留まった」と辰彦さん
「彼は音楽に対してマジメ。ジャンルを問わず良いものは良いという姿勢が好き」と容子さん
今から26年前に二男、その3年後に三男が誕生。子どもたちが立てるようになったら太鼓を教え、家族でたたくようになります。しかしそのころから、当時住んでいた多摩市で住宅地化が進み、近隣から「太鼓の音がうるさい」という苦情が急増。そこで「もっと自由に音を出せるところへ」と容子さんの弟がいた札幌へ移り住むことにしたのです。それは、今から21年前のことでした。
移住を機に、「北海道で太鼓の素晴らしさを伝えたい」と、2人は太鼓を演奏する活動を始めます。そのうちに、4人の息子たちや、容子さんの弟も加わり、「村場ファミリー」を結成。その評判が広がり、次第に口コミでさまざまな方面から仕事の依頼が来るようになります。そして10年前、もっと新しい表現に挑戦したいという思いから、家族のほかに地元の子どもたちを加え、「乱拍子」を立ち上げました。獅子舞を舞台に登場させたり、6人で一つの太鼓をたたく創作太鼓に取り組んだりと、新たな芸に挑戦しています。
子どもとはいえ、芸を志す以上、プロの卵として扱うのが2人のモットー。それは新メンバーの子どもたちに対しても同様だったそう。「練習も厳しいですし、公演で長時間拘束することも多い。怒るときも本気でぶつかります。そうした中で強い絆を築きながら、一つひとつの舞台を共に作り上げてきました」(容子さん)。しかし時には考え方の違いから、子どもたちの親と衝突することもあったとか。辰彦さんは、「そんな時にもいつも話し合いの場を設けて、真剣に向き合い問題を解決してきました。今では、メンバーの親も含め、みんなが大きな家族のよう」と言います。
もっと活動の幅を広げていきたい
「乱拍子」の舞台で太鼓を演奏する辰彦さん(左)と容子さん
毎年12月に行ってきた「乱拍子」の自主公演では、数年前から1000人以上の観客を動員。また昨年、札幌で開催されたノルディックスキー世界選手権のスタートセレモニーで演奏するなど、結成10年目を迎え、活躍の場を広げています。
「音楽をやりたいという思いだけでここまできた」と振り返る2人。「昨年観客の方の『乱拍子に憧れていた』という言葉を聞いて、このまま2人で前に進んでいこうという気持ちが固まりました」と容子さん。辰彦さんも「団員の子どもたちが、将来この道でも食べていけるよう道筋をつけたい。そのためにも、もっと多くの人に『乱拍子』のことを知ってもらえるよう活動の幅を広げていきたい」と目を輝かせます。2人の挑戦はこれからもまだまだ続くようです。